特許コラム
2011年2月 7日 月曜日
独立して思うこと
事務所を開業して間もなく三年となります。
この三年間、順風満帆とは言えないまでも、色々な経験をさせていただくことができて、色々な機会を与えてくれた方には常に感謝しています。この場を借りてお礼申し上げます。
この間、大きな会社の仕事、中堅企業の仕事、歴史の浅い中小企業の仕事と色々なことをさせていただきました。
そして、そうやって色々な仕事ができる、ということが独立したということの一番良いところかもしれない、と最近思っています。
事務所開設前は規模の大きい事務所(私が辞めたときで所員90名くらいでした)で働いており、その前は大企業の特許部で働いていました。
ですから、独立前の仕事では、「与えられたなかで決まった仕事をすればそれでよい」という状況でした。
つまり、自分の責任範囲がある程度決まっていて、その範囲内のことさえできればよいわけです。(それはそれで大変ではあったのですが)
特許事務所時代は、特定のクライアント数社が担当ですから、その会社の技術を明細書が書ける程度に理解できれば、あとはある程度ルーチンで回していけるようになります。
それに、私が勤めていた特許事務所は、固定の顧客以外の仕事は引き受けないという方針でしたので、小さい会社との仕事は全くありませんでした。ですから、自分の担当に決まった数社の案件以外を扱うことはありません。
また、会社時代は完全なサラリーマンですから、「会社のやり方という枠」に自分を押し込めるということが重要です。それさえうまくできれば、それほど難しいことを命じられることはありませんでした(まあ、当時は若手の下っ端だった、ということもあるでしょうが。実際、当時は私の能力も今より低かったですし)。
今は、というと、仕事を選り好みしているような状況ではないだけに、その結果として、色々な仕事をさせていただく、という大変ありがたい結果となりました。
「自分にこれはできるかな?」と思うような仕事をしなければならない、ということもあるのですが、それこそが「色々な経験をする」ということの醍醐味とも言えます。結局そういう仕事のほうが勉強にもなるし、楽しいと思える仕事となっています。
こうやって、色々な仕事をさせて戴くことは本当にいいことだな、と思います。特定の会社の仕事ばかりやっていると、どうしても経験の幅は小さくなります。
小さい会社と仕事をしていると、大きな会社としか仕事をしていなかったときには気付いていなかったことに気付くことがあります。自分のなかで、新しい考え方ができるような気がするときがあります。
独立前は、
「独立しても同じように特許の仕事を続けるのだから、経営の仕事が入る以外は大して仕事内容に変化はないだろう」
と思っていましたが、案外そうでもなかった、という感じです。
だからといって「日々、楽しいことばかり」というわけではありませんが、それでも何とか「独立しなければ経験できなかったこと」をやりつつ、元気に仕事をしている、ということを感謝したい気持ちです。
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2011年2月 1日 火曜日
先生と呼ばれるほどの・・・
もちろん、正解は「馬鹿でなし」です。
私は弁理士なので、クライアントの方から「先生」と呼ばれてしまいます。そして、そう呼ばれるたびにこの言葉が頭の中に浮かんでしまうのでした。
長くそう呼ばれているうちにさすがに少しは慣れてきましたが、それでも「先生」と呼ばれることに違和感を覚えることは未だに多いです。特に、自分より年上の方に「先生」と呼ばれてしまうと、「いえいえ、そんな大したものではありません」と言いたくなってしまいます。
私もかつては企業知財で働いていたとき、弁理士の方に「先生」と呼びかけていた時期があるので、その「先生」に深い意味があるわけでないことくらい分かっているつもりなのですが……。
こういうところにこだわってしまうというのは、やはり私のなかでどこか
「弁理士が偉そうにしているのは、何かが間違っている」
という感覚があるのかもしれません。
資格を持っていて「先生」と呼ばれるのを「当然」と思ってしまうと、自分のなかにどこか「傲慢」な心が生まれないか、という危惧を感じているのかもしれません。
とはいえ、あまり「先生」と呼ばれることに抵抗するのも大人げないということも思います。
立派な「大人」となるには、「先生」と呼ばれることにむず痒く思いながらも、何も思っていませんという風に受け流すということなのかなぁ、とも思います。
「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」ということを書いてみると、結局、「馬鹿」と言われたくない、という「見栄」の感情が混ざっていて、それはそれで「青くさい」のかな、とも思います。
というわけで、いくらなんでもそろそろ「先生」と呼ばれることにも慣れて、でも傲慢になることもなく、そして裏で「馬鹿」と言われても別にいいや、という鷹揚な感じでいらればいいなぁと最近思うようになったのでした。
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2011年1月28日 金曜日
「マネジメント信仰が会社を滅ぼす」
久しぶりに最近読んだ本の感想を。
「マネジメント信仰が会社を滅ぼす」(深田和範著 新潮新書)を読みました。
去年の年末に発売されてもう増版されているということは、結構売れているということなのでしょう。
「マネジメントが下手だからビジネスがダメになったのではない。マネジメントなんかにうつつを抜かしているからビジネスがダメになったのだ。むしろ余計なマネジメントなんかするな。」(第3頁)
という言葉でまえがきが始まります。
それは過激にも見えますが、私がこの言葉に惹かれてこの本を買ったのは本当です。
この本全体に書かれたすべてのことに賛同するわけではないのですが、でも、「マネジメントよりも経験と勘と度胸が重要」という考えについては、そうなのかなと思います。
なぜそう思うかというと、私が今まで出会った「仕事ができる人」というのは、「マネジメント能力に優れた人」ではなくて、「経験と勘と度胸のある人」だったからです。というか、「マネジメント能力に優れた人」というのを見たことがあまりないのですが。
で、なぜこの本を取り上げたのかというと、やはり以前に書いていた「重金属処理剤組成物事件」のことがまだ心に残っているからです。
あの事件の判決を読んで色々と考えたことは、自分のなかではまだすっきりとまとまってはいません。
あの事件について本ブログで色々と書かせて戴きましたが、
「では被告はどうすべきだったのか」
ということを考えたとき、私の心には解決案が生まれていません。
理屈から言えば、
「もっと知財のマネジメントをきちんとして、問題を未然に防ぐべきだった」
という結論にすべきなのでしょう。事実、私もそのテーマで書き始めた最初の時点ではそう結論づけようと思っていました。
でも、考えれば考えるほど、
「そうではないんじゃないか」
と思うようになってきました。だから、最後のほうで、急に「だからって特許マネジメントを厳しくすると、ビジネスが萎縮するからよくない」ということを書いたわけです。
そういうことを考えているときにこの本を読んだので、なおさら惹きつけられたのでしょう。
確かに、特許問題は経営におけるリスクになり得ます。だから、そのリスクにできるだけ近づかない、という発想が
「知財のマネジメントに力を入れる」
ということなのでしょう。
でも、それを過剰にするとビジネスの活力をそいでしまう、という気もします。
敢えてリスクに近づく「度胸」と、でも本当にヤバイ場所だけは避ける「勘」、そして粘り強く対応することで自分の考えに沿った結論を導く「技量」と「経験」を経営者が持つことが必要なのかもしれません。
要は、経営者や事業責任者が持つべき「経験と勘と度胸」のなかに、「知財」の観点も含めていく、ということが大事なのかもしれません。
知財の仕事をしている方は、すぐに「リスク」ということに意識が向かいがちです。そして、どうしても「リスク」の少ないほうへと導くことになりがちです。
しかし、リスクのないビジネスはないわけです。
そのなかで、どうやって「知財のリスク」と付き合っていくのか。
難しい問題です。
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2011年1月26日 水曜日
アメリカのrule
前に特許事務所に勤務していたとき、一度だけ米国出張に行かせて戴いたことがあります。米国で現地の特許事務所への挨拶回りをして、更に特許庁面接を行ったわけですが。
たった一週間の出張でしたが、非常に有意義であり、行かせて戴いたことに今でも感謝しています。
それはなにかというと、現地で現地の人と話をすることで、日本にいたら絶対に分からない「アメリカ」というものを垣間見ることができた、ということです。
そして、アメリカで現地の弁理士とランチに行ったときの会話が一番印象に残っています。
店はオールドスタイルの少し高級なハンバーガー店でした。テーブルに運ばれてきた料理は、皿に載せられていてフォークとナイフがついていて、マクドナルドとはかなり様子が違います。
が、よく見ると、半分に切った丸いパンの間にハンバーグが挟んであるので、確かにこれはハンバーガーです。
しかし、上部のパンはひっくり返された状態で、下のパンとハンバーグとは別に脇に置かれています。
そこで、私は悩んだのです。これはこのまま食べるべきなのか、あるいは上のパンをハンバーグの上に載せて、マクドナルドのように一体化させて食べるべきなのか、と。
で、食事に連れて行ってくれた米国弁理士の先生に、これはどうやって食べるものなのか、と質問したときの答えは単純明快でした。
「好きにすればいい」
ということでした。
そしてその後に言った言葉が忘れられません。
“There is only one rule in the United States. It is that there is no rule”.
日本人からすると、「何だそれ?」という言葉なのですが、しかし、私はその言葉で「アメリカ」というものを少し理解できたような気になりました。
さすが自由の国アメリカということになるわけですが、こういう国のことを、しがらみや規則でがんじがらめにされている日本人が理解できるはずもないですし、色々なところで違和感を覚えるのは当然とも言える気がしました。
だからといって、根本的なところを見ると、結局は人間同士、考えていることの根本は同じようなもの、という別の側面もあるのであって。そういうところが面白くもあり、難しくもあるなと思います。
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2011年1月12日 水曜日
優秀な弁理士
昨日まで、重金属固定化処理剤事件について書いていましたが、諸事情で今日は他の話を。というか、今仕事がやや忙しいので、判決文をゆっくりと繰りながらブログを書く時間がないもので。落ち着いたら続きを書きます。
で、優秀な弁理士とタイトルをつけたのですが。
ブログのアクセス解析を見ていると、どのようなパスワードでこのブログにたどり着いたのかはある程度分かります。
それを見ていると、「優秀な弁理士をどうやって見つけたらいいのか」とか「弁理士への不満がある」という方も多くおられるんだな、ということが分かります。そこで、今日はそこについて、皆があまり言わないことを書いてみようか、と思います。
ほんとうに正直に私が思っていることを申し上げましょう。
よく会社等の組織では、
「1~2割優秀な人がいて、1~2割全く仕事ができない人がいて、残りは普通」
ということが言われますよね。
結局、弁理士の世界も同じことです。
本当に優秀な弁理士なんて全体の1~2割ですし、更には1~2割程度は全く仕事ができない弁理士がいます。そして残りは「普通」です。
何となく
「弁理士というのは資格試験を通った人の集まりだから、ほとんどの人はそれなりに優秀なんだろう」
と勘違いしておられる方もおられるかもしれませんが、それは完全な誤りです。
だからこそ、企業の知財の方であったり、中小企業の経営者であったり、という方々は「どうやって優秀な弁理士を見つけて、その人に自社の仕事を担当させるか」
ということが重要な仕事である、と私は思っています。
ここで重要なのは「優秀な弁理士」を見つけるということであって、「優秀な事務所」を見つけるではない、ということです。
結局、弁理士の仕事は最後には個人の能力に帰する部分がほとんどです。特許事務所が組織を強化して全体のレベルを高めることに注力しても、「本当に優秀な弁理士は1~2割」という壁を破ることは不可能である、と思います。
ですから、大事務所に頼むにしても、その事務所にいる優秀な弁理士に担当して貰うにはどうすればよいか考えるべきですし、優秀な弁理士を見つけるための努力を怠ってはいけない、と思います。
多くの人は
「よく分からないから、とりあえず大事務所に頼んでおけば大丈夫だろう」
と思っているようですが、決してそんなことはないですよ。大事務所には必ず優秀な弁理士の方がおられますが、その優秀な方に担当して貰える確率は1~2割ということですから。
ましてや、優秀な弁理士は忙しい、というのも会社組織と同じです。何もない状態でいきなり大事務所に仕事を依頼して、優秀な弁理士に担当して貰える可能性は低いと考えられるでしょう。
「事務所弁理士の質が低い」と嘆く方がたくさんおられます。上に書いたような事情を考えると、そのような声も仕方がないかもしれません。優秀な弁理士に当たる確率なんてそんなに高いものではありません。
でも、「事務所弁理士の質が低い」と感じたなら、それは「優秀な1~2割の弁理士に当たっていないということ」と考えて、それならば何とかして「優秀な1~2割の弁理士」を探すなり育成するなりしていくことが、重要なことではないかと思います。
それができるかどうかが「有能な知財パーソン」であるか否かを分ける、という部分もあるように思います。
と、この手のことを書くと私自身どうしても言い訳せずにいられないことが。
こういうことを書くに際しては「自分のことは棚に上げる」という姿勢が重要になります。そうしないと何も書けなくなりますので。
開き直って言いますが、ここの文章において「じゃあお前はどうなんだ」というツッコミはナシでお願いします。
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