特許コラム
2011年3月 7日 月曜日
経済学のこと
私は、理系出身で、弁理士という人間です。
そして、世の中に色々とある学問の分野のなかで一番苦手なのはどこか、というと、経済学だと思います(まあ、理系とはいえ、技術系学問の幅は広いので、電子分野やバイオの最先端となるとわかっていないのですが、それは別として)。
考えてみると、弁理士で経済学に明るい人は少ないのではないかと思います。まず圧倒的に理系出身者が多いですし、文系出身でも法学部出身の方が多いのではないでしょうか。
弁理士試験のときも法律関係の科目は勉強しますし、その後、訴訟に巻き込まれたり、契約の仕事をしたりすることで、特許法以外の法律についても知識が少しはできてきます。
しかし、経済に関してだけは、仕事でかかわることも勉強することもなかった、という気がします。これは、弁理士としては平均的なこと、という気がします。
が、それでいいのでしょうか。
弁理士は特許(や、意匠、商標)の仕事をするわけですが、特許法というのは産業の振興を図るための法律です。ということは、産業構造や経済に関する知識をある程度は持っていないと、クライアント企業にきちんと助言できなくなる場合もありますし、知財の実情についても、正しく理解できない場合があるように思います。
例えば、最近、日本の電機企業と韓国の電機企業の特許事件が非常に多く発生していますが、これについて正しく理解したいなら、日本と韓国の産業構造の違いとか、それぞれの企業のビジネスモデルの衝突、ということについての知識が必要でしょう。裁判所がどのような理論で判決を下したか、という法律的な解釈も重要ではありますが、それだけで充分とは言えない気がします。
私も経済について知識が薄いので、偉そうなことは言えないのですが、それでも、特許法の目的が「産業の発達に寄与する」ことである以上、弁理士が「経済について何も知らない」ということではいけないような気がしています。
こういうことを少しでも思うようになったのも、独立したおかげ、といえるかもしれません。独立すると、「特許事務所経営」という自分自身の問題があります。自分の事務所の経営のことを日々考えていると、会社を見るときにも企業経営ということについても少しは考えが及ぶようになってきた気がします。
とはいえ、あまりゆっくり勉強する時間はないので、深い勉強はできませんが、少しずつでもいいから、色々と知識を増やしていかなければ、と思っています。
とりあえずは、以前あまりうまく取り上げられなかった「反知的独占」という本について、自分なりの考えをまとめられる程度のところを目標にしたいと思っています。
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2011年3月 1日 火曜日
辛口ですか?
先週末、知人の弁理士と飲みに行ったのですが、その際に、本ブログの話になりまして、そのとき、
「辛口ですね」
と言われました。
私は、別に辛口ブログにしようと思ったことは一度もなかったのですが、特にここ最近、自分でも「辛いこと」書いてしまっているな、とうっすら思ってはいました。
辛口なことを書こうと思っていなかったのに、辛口になるというのは書いている当人が「辛口な人」ということなのでしょうか。
しかも、ブログをはじめて長くたち、初めの頃のように初々しさがなくなると「辛口」になるわけですから、これは今が私の本性ということなのでしょうかね。
知財業界に限らず、一つの業界で長く仕事をしていると、そのなかの「いいところ」よりも「悪いところ」のほうが気になってしまうのは、やむを得ないことだ、と思います。
しかも、「いいところ」は他の人にも話しやすいので、しゃべることも多いのですが、「悪いところ」はあまり喋らずに腹の奥にためていることが多いので、油断するとそれが毒として外に出てしまうのかもしれません。
とはいうものの。
私も一応、気がつけば十五年くらい知財の仕事をやっており、「ベテラン」という領域に入ってきました。で、そんな「ベテラン」がほんとうに思っていることを語らずに、「きれいごと」しか書かないというのも、健全なことではない、という気もします。
ベテランで色々なことを考えていることが明らかなのに、「きれいごと」しか語らない人って、逆に怖くないですか? そういう人のほうが「策士」であり、ある意味では「優秀」なのでしょうが。
私のような人間は、「策士」としてものを書くことなどできないので、「本音ダダ漏れ」の結果として「辛口」になってしまうわけです。でも別にそれを変える気などないわけです。「辛口ですね」とおっしゃった弁理士の方も「それが悪い」とは全くおっしゃらなかったわけですし。
というわけで何が言いたいかというと、「辛口ですね」と言われたものの、そんなことは気にせず、これからも今までどおり書いていく、ということです。宜しくお願いします。
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2011年2月28日 月曜日
「精神科医は腹の底で何を考えているか」
最近読んだ本の話です。
「精神科医は腹の底で何を考えているか」(春日武彦著 幻冬舎新書)です。2009年1月に発行されて、第六版まで行っているということは、かなり売れたということなのでしょう。
最初私がこの本を手に取ったとき思ったのは、
「クセのありそうな本」
ということでした。
タイトルもそうだし、それに加えて表紙の折り返しのところの著者の写真からそれを強く感じました。著者の写真の顔は普通の顔なのですが、その表情がなんとも「クセのありそうな人」という印象です。
そして、立ち読みした「はしがき」の内容もすでにクセの強いものでした。
で、その「クセの強さ」に惹かれて、読んでみようと買ったのでした。
そして読んだ感想はということになるのですが。
こういう本について何か書くのは難しいと思います。
特に後半、第六章、第七章あたりになると、「何をもって治癒とするか」、「幸福とは何か」という話になるので、本ブログのような「ビジネスに関すること」を主眼としたブログでは特に書きにくいです。
内容が「哲学」的な方向に行くのは、やはり精神科医にとっては必然なのかもしれない、と思うし、実は私にとってはその辺りが一番面白かったのですが、そこに踏み込むと、話がまとまらなくなるだけなので、本ブログでは、もう少し別のところを。
私は「弁理士」という立場で、特許について相談に来られた方にアドバイスをしたり、質問に答えたり、実際の手続きを行ったりという仕事をしています。
その意味では、体調について問題を抱えた方の相談に答える、「医師」という仕事も共通した部分もあります。但し、私はあくまでも「ビジネス」という観点の話をするのですが、医師は「健康」という立場から話をするので、そこの違いはあります。
しかし、「専門家」として「クライアント」接するという点では、ちょっと共通するものを感じてしまいました。もしも私が
「弁理士は腹の底で何を考えているのか」
という本を書くなら、似たような内容になる部分は結構あるな、と思いました。特に、第一章~第五章あたり。ま、これは「私」の印象なので、世の弁理士の皆さんが、そう感じるかどうかは別問題として。
それがどんなこと? と聞かれると、それは一言では説明できません。この本、軽く書かれているように見えて、中身が濃いので、要約しにくいということがあります。
例えば、「治療は医師と患者の共同作業」というサブタイトルの章があります。このへんも、「特許取得は、弁理士とクライアントの共同作業」とそのまま言い換えられます。
そして、その協力関係がなかなかうまく成立しない場合もある、ということなどは、本当に弁理士も同じだなと感じます。
具体的な話になると違うこともあるのですが、しかし、弁理士とクライアントとの関係も、クライアント企業において、「結構ヤバイ」状態なのにそのことを理解してくれないこと、等もあるわけで、共通点を感じたりもしていました。
こういう、自分の仕事と関係がなさそうな人の「考えていること」が自分が仕事で思っていることと似ている、というのは面白いな、と思いました。
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2011年2月25日 金曜日
特許事務所の経営
昨日、税理士さんと昨年の確定申告の書類作成を行いました。
これをやっていると、一年に一度、経営状況を確認しているという気分になります。
でも、特許事務所の経営がどんなものか、ということはあまり語られることはがないですね。
それが分からないから独立を「怖いこと」と思っている人も多いような気がしますが。
当然のことですが、弁理士が独立すると「経営」という問題がのしかかってきます。それは弁理士に限らず、どんな仕事であれ、独立すれば「与えられた仕事をやっていればいい」という状況ではなくなります。
独立した資格職と無職の違いは、「仕事があるかどうか」の一点のみです。独立しても仕事がなければ無職と同じです。だから、最初に「経営」のなかで考えることは「どうやって仕事を手に入れるか」という一点に絞られるわけです。(仕事が増えてくると、そこに「どうやって仕事を回すのか」という次の点がでてくるわけですが)
どれほど弁理士として優秀で、明細書を書くことに関して素晴らしい能力を持っていたとしても、それと特許事務所の経営は何の関係もありません。仕事がなければ、能力があっても「無職」にすぎないわけです。
で、私の場合はこの三年間、どうだったんだろうか、と思い出してみると。
なんかよく分からないんですよね。細々と事務所は継続しているのですが、
「仕事を取るためにどんな作戦を立てたのか」
ということを考えても、作戦というほどの作戦はなかったように思います。
ただ、ありきたりですが「人との縁」が一番大事なのかもしれない、と思います。それも
「この人に顔を売っておいたら、仕事がもらえるんじゃないか」
という色気を出した付き合いよりも、
「この人とのつながりから仕事が来るなんて思ってもいなかった」
という付き合いが大事、と思います。ウチの場合もそういうつながりからの仕事はそれなりに多いです。
そういう意味では、独立して「縁」ということを、実感として感じるようになったと思います。そういう「意外な縁」が、最近たまに「仕事が楽しい」と思うことがある一因なのかもしれません。
それと、事務所の経営の「調子が悪い時」にどこまで平静でいられるか、ということもあるような気がします。そこのところ、私も「まだまだ」という気がしますが。
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2011年2月23日 水曜日
傲慢な弁理士
ブログをやっていると、アクセス解析を見ることで、「どんな検索ワードで本ブログに到達したのか」が分かります。
で、それを見るのが最近の楽しみの一つなのですが、最近、
「弁理士 傲慢」
でウチに来たという人がいるのを見て、ちょっとへこみました。
いや、別にこの人が私のことを傲慢だ、と思って検索してウチのブログにたどり着いたわけでないことくらい、分かっています。
しかし、どういう理由があったにせよ、「弁理士を傲慢だ」と感じるようなことがあったか、あるいは、そういう噂を聞いたから検索をされたのでしょう。
弁理士のほとんどは、弁理士試験に合格してなった方です。そして、合格者発表のときに出身大学のランキングなども発表されますが、いわゆる「高偏差値大学」の出身者の割合が高いです。そういう「勉強ができる」という自意識のせいで「傲慢」になってしまう方がおられるのは、仕方がないことかもしれません。
弁理士という仕事について、私がいつも思っていることは、
「弁理士はプレーヤーではなく、プレーヤーをサポートするスタッフみたいなものだ」
ということです。
弁理士の仕事はあくまでも「研究者」が「新しい発明」をしてこそ、のものです。弁理士だけいたところで、何も世の中の役には立ちません。
例えば、私たち弁理士は野球選手やサッカー選手のようなプレーヤーではなく、それをサポートするトレーナーとか栄養士とか、そういう立場の人間なのではないか、と思っています。
こう書いたからといって、別に弁理士という仕事を卑下するつもりは全くありません。ただ、事実として弁理士という仕事がそういうものだ、と思っているだけです。
「プレーヤーをサポートするスタッフ」
が一番やってはいけないことというのは、「プレーヤー」がいい気分でプレーすることを邪魔するようなことではないか、と思います。
でもここのところは難しいと思います。なんだかんだいって、誰でも「自意識」というものはありますし、「自分は偉い」というアピールをしたくなってしまいがち、というのはありがちな話です。
それが、「一流大学」を卒業して、「難関資格試験に合格した」という人であればなおさらです。
とはいうものの……。
ここのところを考え始めると、私も色々と止まらなくなってくるので、このあたりまでとしますが。いずれにしても、難しい問題ではあると思います。
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