特許コラム
2011年4月26日 火曜日
「世界を変えた発明と特許」
「世界を変えた発明と特許」(石井正著 ちくま新書)を読みました。
著者は元特許庁審判部長で、その後大阪工業大学知的財産学部長もされた、という方です。
歴史上有名な発明と特許の関わりについて書かれた本で、ワット、エジソン、ライト兄弟、といった人たちが発明の特許についてどのような関わりをしていたのか、ということをテーマにした本です。
この辺りの話、色々と断片的には聞いていたのですが、まとまった話としてきちんと読んだことがなかったので、色々なことがずいぶんと整理されて勉強になりました。ワットの特許についてのふるまい、キルビー特許の話など、非常に断片的な知識だったものを説明してもらったので、読んで良かったと思います。
更に、現在とはずいぶんと事情の違う昔の話などを読むと、特許法が今の形になるまでの経緯も見えてくるようで、その意味でも楽しかったです。
が、反面、
「現在の世の中に適合した特許制度ってどんなものなんだろうか」
と考えると、非常に難しいものがありますね。
なにしろ、ワットやライト兄弟の時代は、会社が研究開発部門を持っていて、将来の商売の種を探して金を出して研究所を作る、なんてことしていなかったわけです。「サラリーマン」でいざとなれば「会社」が守ってくれる、という状況ではありません。
そういう意味では本当の意味で「発明家の時代」だった、と言えるのかもしれません。
そういう人たちが何かを開発したとき、「それを真似されたくない」という感情は、今の研究者とはまったく意味合いが違うだろうと思います。
そういう意味では、「特許が持つ意味」というもの自体、昔とはずいぶん変わってきたのだなぁと思います。そして、これからも変わっていくでしょうから、その変化を自分なりに考えなければならないのかもしれない、とも思います。
今後、「世の中を大きく変えるようなものすごい大発明」なんてものは出てこないでしょう。
今、いくらネットワークビジネスが、などといったところで、エジソンが初めて電灯を作ったとき、ライト兄弟が初めて飛行機を飛ばしたときのような、とてつもないインパクトのある発明はもう出ないと思います。
これからのそういった時代の「特許」のあり方はどういうものなのか。少なくとも、かつての「発明家の時代」とは違う形であるような気はします。それが何なのか、その答えは簡単には出ない気がします。
正直、今の特許法が現在の社会での「技術の保護」に本当に適応したものか、というと疑問を感じる部分もあります。それだけに、私たちが考えなければならないこともたくさんある、と感じました。
投稿者 八木国際特許事務所 | 記事URL
2011年4月25日 月曜日
船頭多くして、船、山に登る
社会人として働いていると、色々な諺について非常に実感を持って共感することが多くなります。
この諺も、私が共感することが多いものです。
この前、知人の弁理士数人と飲んでいるときに、ある弁理士の口からもこの諺が出ました。そのときの話が、私もかつて非常に強く感じたことと同じだったので、今日はそのことをネタに。
日本は「和」を大切にする社会で、だから話し合いでの承認がなければならず、決定が遅い、というような話はあちこちで語られることです。それが悪いほうに作用すると、この諺の状況になりやすいわけです。
そして、特許訴訟の場も、この「船頭多くして……」という状況になりがちです。
特許訴訟の場合、社外から弁護士、弁理士、社内でも特許部担当、技術の責任者、営業担当等の立場の違う人たちが集まることになり、どうかすると、十人くらいの人間が関係することになったりします。
そこで問題になるのが、
「最終的な方向性を決める責任者は誰なのか」
がはっきりしないまま、話し合いが進むことが多い、ということです。
社内の事業部会議等であれば、だいたい、その場のトップは決まっているわけで、もめたときは特定の人が決定権を持っていることが多いでしょう。
しかし、知財訴訟の話し合いでは「誰が決定するのか」が不明瞭なままで会議が進むことが多いように思います。
で、各人がそれぞれ好き好きに言いたいことを言って、話をまとめようとしないので、長時間会議をしても混乱するだけ、というのがありがちなことです。
何しろ、弁護士と研究者等は、特許事件に対する考え方の根本が違っていますから、話をしていても、論点がかみ合わなくなりがちです。
だからといって、誰かが仕切るのも難しいものがあります。
例えば、誰か有能な人がガンガンに仕切って、全体の話もまとめて方向性をきちんと誘導して、ということをしたとします。
でも、裁判は水ものですから、そうやっても負けるときは負けることになります。
そうなると、そこで誰かが、
「負けたのは××(仕切っていた人)のせいだ」
ということを言い出して、責任を押し付けるような流れになってしまいます。
実際、訴訟を仕切っていたのがその人だったのなら、責任を問われると何も言えなくなります。
仕切っていたのが社内の人だったりすると、なおさら問題です。社外の弁護士や弁理士は責任取らされたところで、逃げ場がありますが、社内にいると逃げ場がないから大変です。
それが分かっているから、皆、「船頭多くして、船、山に登る」状態になっていることを知りつつ、「自分が仕切る」ということをやらないのです。
実際、日本の大企業というのは「責任を回避する」ことに長けた人が偉くなる傾向にありますからね。そりゃあ、「特許訴訟の話し合いを仕切る」なんてこと、誰もやらないでしょう。
とはいえ、本当に訴訟で勝ちたいのなら、代理人側ではなく、会社側それも事業部サイドの人間が誰か仕切ってくれないと、うまくいかないのも事実です。誰か覚悟を決めて下さい、という話でもあるのですが。
このような状況は訴訟をまずくする状況なので、如何にしてこれを避けるかは重要なポイントだと思います。「知財訴訟」をうまくやっていきたいと思うのなら、とりあえず「関わる人の数をできるだけ減らすこと」から始めるのがいいかもしれません。これまた難しいことですが。
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2011年4月21日 木曜日
ものすごく頭のいい人なんていない
こういうことを書くと誤解を招くかもしれないですが、最近、思ったことを。
世の中の人には、
「世の中にはすごく頭がよくてしっかりした人がいて、難しいことはそういう人たちがうまくやってくれている」
と思っている人がいるのかな? と感じることがあります。
いや、少なくとも私もかつてはそんな風に思っていたような気がするので。
現実問題として、そんなことは絶対ないですよ、というのが今日のブログの話です。
なんでそんなことを急に書き始めるかというと、「資本主義はなぜ自壊したのか 「日本」再生への提言」(中谷巌著 集英社文庫 2011年)を読んでいて、私も昔は、
「政府の経済政策を決めているような人は、ものすごく頭もよくてしっかりしたビジョンがあって、私のような一般人とは違うレベルでの思考の果てに、色々なことは決まっているのだろう」
と信じていたことを思い出したもので。
この本を読むと、中谷巌氏という一時期は日本の経済政策に影響力を持っていた人も、「普通の人」だということが分かります。
こう書くと、「中谷氏を批判している」と解釈される方もおられるかもしれませんが、逆です。むしろ、「自分も失敗をする普通の人」ということを広く一般に向けてさらけ出せる、という点において、中谷氏は「自分を強く持ったしっかりした人」だと思います。
このへんのことは、また回を改めて書かせて戴くとして。
で、ここから、いきなり知財の話になるのですが。
企業知財の方が仕事をされるとき、このことは肝に銘じたほうがいいですよ、という話です。
企業知財の仕事をすると、弁理士だの弁護士だのという「肩書き」を持った人が登場して、特許について何やら難しいことを言い出すわけです。
そういう話に幻惑されると、
「ああ、この先生は難しいことを言って頭がよさそうだから、(話の内容について自分は良く分からないけど)この人に任せておけば安心だろう」
という風に思ってしまうことがあるように思います。
また、「この人の言うことは納得できないけど、頭のよさそうな人が言うのだから間違っていないのだろう」と無理に自分を納得させることもあるでしょう。
しかし、「そんなにすごく頭のいい人」なんて、世の中にはいませんよ、という話です。
だから、その人が語る話の内容が分からないにしても、
「その人がどの程度の人か」
ということについては、厳しい目を向けておいたほうがいいです。少なくとも、「何でも分かっているものすごく頭のいい人なんてどこにもいない」という前提で接したほうがいいです。
だからといって、「弁理士なんて大したことないから信用できない」と嘯くのも、「個々の弁理士の能力の見極めをしていない」という点で同じ、と思いますが。
重要なのは、「完璧な人間などどこにもいないから、どうやって(個々に欠点をもった)現実の人間をうまく使っていくのか」ということじゃないか、と。
その上で、個々の弁理士(又は弁護士)ごとに
「コイツはここまでは分かっているから、このあたりの仕事は任せておいて安心」
というラインを決めつつ仕事を任せていく、という「見極め」をすべきではないかなぁ、と。それこそが、「企業知財」の最も重要な仕事かもしれないと思います。
このあたり、意見も分かれるし、難しいところです。こういうことを書くと反感を覚える方も多いと思いますが、ここは私の意見ということで。
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2011年4月20日 水曜日
特許の講習会講師
私もたまに特許の講習会講師をすることがあります。
有名弁理士というわけではないので、100人、200人というレベルの講習会ではなく、数十人単位程度の場所での講師ですが。
5月に、とある場所(2年ほど参加させて戴いている技術交流会です)で特許の話をすることとなりました。
それで、今、どんな話をしようかとネタを考えているところです。
それで思うのですが、特許の講習会が「つまらない」ことが多いのは、色々な原因があると思いますが、「面白い話はできない」という縛りがあるのが一つの原因ではないかとも思います。
例えば、私も訴訟代理をしたことがあります。その訴訟代理の際の色々なことは講習会で話すとそれなりに「受ける」話にできるだろうな、と思います。でも、それは絶対に講習会のネタにはできません。企業秘密に関わる部分があるので、そんなことを広く色々な方がおられる場所で話すと、大問題です。
かといって、判決文として裁判所ホームページ等で公開されている話をネタに話をしても、面白くすることは難しいです。なにしろ、自分が経験したことではないわけです。
「なんでそんなことになってしまったのか」という肝心のところについては、想像するしかないという状況になるからです。その「想像」も、関係企業を誹謗中傷するようなことになっては大問題です。そうなると、あまり「過激な想像」を語ることはできません。
特許の問題処理のなかでも、内輪もめが発生したり、議論が思いもよらない変な方向に飛んで行ったり、と滅茶苦茶な状況になることもよくあります。そういうところこそが、「面白い話」であって、本当は皆が知っておくべき話じゃないか、と思います。
でも、そういう話はなかなか話せなません。
そのせいで、結局、「当たり障りのない話」とか「特許の教科書的な本を読めば書いているような話」、「法律の規定の説明」みたいな、あまり面白くない話になってしまいがちなのは、仕方のないことかもしれません。
ただ、私としてはそういうのでは面白くないな、と思うので、少しでも「自分が知財マンとして経験したなかでの話」を交えて話ができればいいな、と思いつつ、色々計画しています。
また、私、講習会の講師等も引き受けさせて戴きますので、特許の話の講師を探されている方は連絡下さい。
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2011年4月15日 金曜日
うめきた大仏の話
内田樹氏のブログでうめきた大仏の話を読んで、
「面白い」
と思いました。
というか。
日本の経済が停滞している、とか、将来が見えない、とか言う人がたくさんいますが、今、欠けているのはこういう「うめきた大仏」のような発想ではないか、と思います。
「日本が停滞している」、とか「将来が見えない」ということを言うより、今は「どうすれば活性化するか」という話をしなければならない、とも思います。そういう意味でこの話は面白いな、と。
この話は海野つなみさんという漫画家の方が漫画で描かれて、その方が内田樹氏らのMBS毎日ラジオの「辺境ラジオ」に話を送って、ラジオで取り上げられたということのようです。
私、このラジオを聞いていないので、詳細は分かりません。また、内田氏が書かれている宗教と社会の関わりの考察については、「面白い」と思うだけで正しいのかどうかは分かりません。
しかし、とりあえず、「うめきた大仏」という発想がものすごく面白いことは間違いないです。
梅田の貨物駅跡の開発で、百貨店だのマンション開発、オフィスビル、サッカー競技場だのと、「これまでの発想の延長」の案を聞いてもちっともわくわくしないし、「そんなもの作るくらいなら貨物駅のままでいいのに」とさえ思っていました。アイディアがないなら貨物駅のまま置いておいて、面白いアイディアが生まれたときに貨物駅を移動すればいいんじゃないか、と。
とりあえず、うめきたの再開発について今まで読んだアイディアのうち、私が「面白い」と思った初めてのアイディアが、この「うめきた大仏」という話でした。
最終的にこれが実現すると真剣に思っているわけではないですが(すればいいと思っていますが、今の産業界や官庁にこういう話を真剣に面白がる人がどれだけいるのでしょうか?)、でも、こういう発想が真面目に語られるような日本であって欲しいな、と思います。
これまで主流だった「投資効率」とか「経済性」という観点でない、まったく別の観点からのアイディアこそが、日本を活性化するうえで一番必要なことではないか、と私は感じています。
政治・社会のことについて、できるだけ触れないようにしていた本ブログですが、「うめきた大仏」の話は「面白い」と思ったので、ついネタにしてしまいました。
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