特許コラム
2015年6月24日 水曜日
日本人の細かさ
これは、「細かいからいい、細かいから悪い」という問題ではなくて、とにかく日本人は細かいしこの細かさは変えようがない、ということだと思います。そして、国際化、という点でこの細かさがよい方に向かっていることもあれば、悪いほうに向かっていることもある、と感じます。
「細かいな」と思うことで、未だに印象に残っているのは、私が特許の仕事を始めたときのことです。
当時、特許出願書類においては、「願書」と「明細書」の両方に「発明の名称」を書かなければならなりませんでした。(ちなみに、現在は「発明の名称」は「明細書」のみに記載しており、「願書」には記載しません)
確かに、両方に書いておいたほうが見るときは便利ですし、それで特許の内容に影響を与えるわけでもなし、そんなものはつまらないことだ、と思われるでしょう。
ところが、それがそうでもなかったんです。
なぜかというと、「願書」と「明細書」の「発明の名称」が一致していないケースがかなり多く発生していたらしく、特許庁はそのたびに、補正指令を出して、出願人に「願書」と「明細書」の「発明の名称」を一致させるように補正をさせていました。
それで、結局、法改正をして「発明の名称」は一カ所にしか書かない、という風にしたわけです。それで、「補正指令⇒手続補正書」という面倒な作業が生じないようにしたわけです。
これで辻褄が合って、面倒は生じなくなって、めでたしめでたし、というわけです。
が。
こういうところ、私は「細かいな」と思います。
「おそらく」ですが、こういうところのためにわざわざ法改正しよう、という発想が「日本人的細かさ」なのかなぁと思います。
別に「発明の名称」が違っていたら、どちらを優先するか(願書優先か、明細書優先か)だけを定めておけばいいような気がするし、実際、発明の名称が権利に影響を与えることはほぼないわけですから、文句が出ることもないでしょう。
それなのに、特許庁は、「発明の名称」を一致させるための補正指令を発していました。
そこのところをちゃんと「辻褄を合わせ」ないと気持ちが悪い、という感覚そのものが、日本人的だなぁと。
こういうことを思うにつけ、この「日本人の細かさ」というのは、「いいこととも悪いこととも言えない」と改めて思います。たぶん、外国の人から見れば、こういう「日本人の細かさ」にイライラする局面も多いのだろうなと思います。
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2014年10月16日 木曜日
「ファスト&スロー」
「ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?」(上・下)(ダニエル カーネマン著 村井章子訳 早川文庫2014年(原著2011年)を読みました。
上下二冊なので、結構時間がかかりましたが、とにかく読みました。
簡単に言うと、人間が物事を決定するときに、どのようなメカニズムで決定がなされるか、という点についての本で、著者は認知心理学者ということのようです。
色々な意味で面白くて、ビジネスの世界で「決定」というものがどのようになされるか、というメカニズムについてなど、非常に説得力があり、面白い本でした。著者も証券会社での仕事をしていたことがあるようで、単純に「理論」という話ではなく、「ビジネス」という観点から書かれている点が面白かったです。
アメリカでは、「心理学」は、象牙の塔の理論ではなくて、ビジネス等への応用がなされる学問になっているのだ、と妙に感心しました。
日本人は「心理学」というものを、「社会生活に不要の学問」としてとらえている面が大きく、これを「経済」や「法律」という分野に応用すべき学問、とはあまり思っていないように思います。
しかし、「経済」にせよ「法律」にせよ、それを構成するのは人間なのですから、人間心理を無視して作られた法律は機能しないし、経済の予測等を狂わせるのは人間の微妙な心理です。
実際、「経済学」というのは、「人間は常に合理的な判断に基づいて行動する」ということが前提で構築されてきたものです。けれど、実際の人間は「合理的な判断」などしません。だから、経済学と現実の間には齟齬が生じます。
その溝を埋めるものとしての「心理学」の使い方は、興味深いものがあると思いました。
またそれと同時に、私がかねてからうまく言葉にできないでいたことも、この言葉であるような気がしました。
私はかつて、米国に出張で行って、米国代理人と話しているときに、米国の代理人が「弁理士としてやっていく人間は、心理学を勉強したほうがいい」というようなことを言われました。
私もその当時、似たようなことを思っていましたから、その言葉に非常に納得しました。けれど、「なぜ心理学を勉強する必要があるのか」と人から問われると、どう答えていいか分からないでいました。
けれど、それは結局こういうことだなぁと。
つまり、「法律」というのは、「すべての人が均一で、合理的な判断をする」という前提で作られているのですが、現実はそんなことはありません。
現実の人間は一人一人違っているし、その判断がいつも「合理的」とは限りません。そのせいで、世の中というのは理屈通りにはいかないですし、法律も実情に合わないケースが多々存在します。
つまり、法律や経済の世界では、「理論」と「現実」の隙間のようなものは、確実に存在していると感じます。弁理士試験の勉強のときに習った「理論」だけで「現実」に起こる出来事を捌き切れないとも言えます。
その隙間を埋めるものというのは、やはり「人間」を知ることなのかなぁと。その「人間」を知ることとはこういった心理学のようなものなのかもしれない、と思います。
もっと卑近な話で言うと、「審査官の判断」についても、「人間がどのような手法で判断を行うか」を知っておけば、その「判断」をこちらにとって都合の良いものに揺さぶることもやりやすくなると思います。
そう言った意味では、弁理士もこういった認知心理学のようなものの本は、少しは読んだほうがよいのかもしれない、と思いました。
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2014年10月10日 金曜日
特許権の20年
この「20年」という期間は、長いようで短い期間であるとも思います。
今から二十年前といえば、1994年。平成6年。私は社会人三年目でした。丸三年半、企業で研究所に所属しましたから、研究をやった期間はあと1年、私の知財経験も、間もなく20年というわけです。
こう書くと恐ろしくなってきます。何が恐ろしいか、私と同年代の人なら分かって頂けるでしょう。二十年なんて、あっという間、ということです。
ましてや、研究開発を行い、その成果を事業化して一つの事業として成立させるまでの期間として、二十年というのは決して長い期間ではありません。
先日、某社の新規事業の立ち上げに関わって成功され、今はその新規事業が会社の主軸商品となり、今は会社の副社長で、実質的にはトップという方の話を聞きました。
その際に、「新規事業は成功しない」「10年はかかる」とおっしゃっていました。どのような意味でそうおっしゃったかは、ここでは書きませんが。
新規事業に10年はかかるのなら、10年かけて事業化し、その後10年間で充分に特許による先行者利益を得て、次への投資、というサイクルになるのでしょうが。こう考えると、楽なことではないなと感じます。20年は決して長くはない期間です。
また、私が研究者をやっていたときの感覚からしても、(少なくとも化学業界では)そんなものだろうなという印象です。
二十年先のことを考えて、企業の研究開発をなさっている方はほとんどいない、と感じますし、実際の研究開発においては、20年先のことを考える必要もないと思います。どうせ、20年も先のことなど誰にも分からないわけですから。
ただ、分からないなりに「特許を取っておかなければ」ということは重要なことであります。
けれど、会社の中で研究開発の方針を説明したり、新規事業のスキームを説明したり、ということをしている割に、知財のことに気が回っていない人、というのはたくさんいる、と感じます。そういうスキームにおいては、「その技術を真似されて、誰かが安い値段で大量供給してくる」という自体を想定していないのに、です。
色々と考えていると、「20年」というのはなかなか「長ずぎず、短すぎない絶妙な期間」という気がしてきました。
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2014年10月 6日 月曜日
ホームページを刷新しました。
これまで「ブログ」として書いていたものも、「特許コラム」とタイトルが変わりました。といっても、ブログ自体、長らく何も書かず放置していたので、「タイトル以外に何かが変わるのか?」という以前の問題です。
とりあえず、ホームページの刷新とともに、久ぶりに更新します。
まさかここまで大々的に自分の写真をネット上に晒すことになるとは思っていなかったので、恥ずかしい限りです。ページを開くなりオッサンのどでかい写真が出てくるのは、ホームページとして好印象を与えるのか? と悩みつつも、しばらくはこれで行きますので、よろしくお願いします。
それはともかくとして。
何も更新していないここ数年において、知財業界、また弊所の何かが大きく変わったかといえば、そういうこともなく、最近知財業界というのも、良くも悪くも「大きなトピックス」はなかったように思います。
私も最初にこの知財コラムを書き始めたときに比べて、少しは歳を取って、事務所所長としての経験を重ねることとなったので、事務所を開いたばかりの頃の「新たな挑戦」という時期から、「継続の難しさ」に耐える時期になってきたように思います。
「何かを始めること」よりも「大きな変化がない」なかで、「やってきたことを継続すること」のほうが圧倒的に難しいのは、誰でも感じることでしょう。
何よりもこの「知財コラム」自体も「継続の困難さ」を象徴するものであるので、とりあえず再開してみたものの、どこまで続くのか、温かい目で見ていただければと思います。
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2013年5月11日 土曜日
特許部勤務時代の思い出
というわけで今回は、企業知財勤務時代のことです。
あるとき、会社の特許部のなかで担当替えがあって、私は新たな事業部を担当することになりました。
その事業部について私は、「特許部担当者」として担当したことはなかったのですが、「研究者時代に働いていた事業部」でした(私は、会社に入って三年半ほどは研究所で働いていました)。当然、「事業部担当者」として現れる人は、私が研究者だった頃から知っている人ばかりです。
これほどやりにくいことはありませんでした。
技術の内容はよく知っていることばかりですから、技術の説明はほとんど要りません。出願についても明細書案を読めば、すぐ理解できますし、他社特許対策で他社特許を読んでも何が問題なのか、説明を受けなくても分かります。
このために、「お互いに説明が省けていいじゃないか」とおっしゃるかもしれません。
しかし、これがそうでもないのです。
「特許部担当者」と「発明者」の間のちょうどいい距離感は仕事をする上では重要になります。
ところが、「研究者」としてお互いに知り合いであると、この「適度な距離感」をうまく作れないのです。特許部と事業部との間の確認作業をしながら進めていくところでも、私が知っているせいでその「確認」がおろそかになってしまう面もありました。
研究の方は「(特許部担当者とはいえもともと研究していたんだから)こんなこといちいち説明しなくても分かるだろう」という言い方をしてくるし、こちら側が「もう別の部署の人間だから」という考えのもとで、距離を取ろうとするとなんだか変な空気が流れます。
かといって、こちらが距離を縮めて技術のことまで突っ込んで話しても、逆に警戒されてしまいます。
更に問題なのは、私が特許について何か言っても、「本当に正しいのか?」という疑惑の目を向けられるということです。数年前まで研究にいた人間で、そのときの悪行(?)もばれているので「ありがたみがない」と言いましょうか。
そのせいで、本来の「いいバランス」がうまく取れず、非常にぎこちなくなっていた、と記憶します。
特許部担当者として初めて行ったときに誰も知り合いがいないくらいの部署のほうが、かえって仕事はやりやすく、お互いの関係もスムーズに築けた、と思います。
さらに問題だったのは、その担当者替えは、私が会社を辞めると決まった後のことだったので、数回訪問しただけで、半年もたたずに会社を辞めてしまったことかもしれません。
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