特許コラム
2014年10月16日 木曜日
「ファスト&スロー」
久々に色々書いているので、最近読んだ本のことを。
「ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?」(上・下)(ダニエル カーネマン著 村井章子訳 早川文庫2014年(原著2011年)を読みました。
上下二冊なので、結構時間がかかりましたが、とにかく読みました。
簡単に言うと、人間が物事を決定するときに、どのようなメカニズムで決定がなされるか、という点についての本で、著者は認知心理学者ということのようです。
色々な意味で面白くて、ビジネスの世界で「決定」というものがどのようになされるか、というメカニズムについてなど、非常に説得力があり、面白い本でした。著者も証券会社での仕事をしていたことがあるようで、単純に「理論」という話ではなく、「ビジネス」という観点から書かれている点が面白かったです。
アメリカでは、「心理学」は、象牙の塔の理論ではなくて、ビジネス等への応用がなされる学問になっているのだ、と妙に感心しました。
日本人は「心理学」というものを、「社会生活に不要の学問」としてとらえている面が大きく、これを「経済」や「法律」という分野に応用すべき学問、とはあまり思っていないように思います。
しかし、「経済」にせよ「法律」にせよ、それを構成するのは人間なのですから、人間心理を無視して作られた法律は機能しないし、経済の予測等を狂わせるのは人間の微妙な心理です。
実際、「経済学」というのは、「人間は常に合理的な判断に基づいて行動する」ということが前提で構築されてきたものです。けれど、実際の人間は「合理的な判断」などしません。だから、経済学と現実の間には齟齬が生じます。
その溝を埋めるものとしての「心理学」の使い方は、興味深いものがあると思いました。
またそれと同時に、私がかねてからうまく言葉にできないでいたことも、この言葉であるような気がしました。
私はかつて、米国に出張で行って、米国代理人と話しているときに、米国の代理人が「弁理士としてやっていく人間は、心理学を勉強したほうがいい」というようなことを言われました。
私もその当時、似たようなことを思っていましたから、その言葉に非常に納得しました。けれど、「なぜ心理学を勉強する必要があるのか」と人から問われると、どう答えていいか分からないでいました。
けれど、それは結局こういうことだなぁと。
つまり、「法律」というのは、「すべての人が均一で、合理的な判断をする」という前提で作られているのですが、現実はそんなことはありません。
現実の人間は一人一人違っているし、その判断がいつも「合理的」とは限りません。そのせいで、世の中というのは理屈通りにはいかないですし、法律も実情に合わないケースが多々存在します。
つまり、法律や経済の世界では、「理論」と「現実」の隙間のようなものは、確実に存在していると感じます。弁理士試験の勉強のときに習った「理論」だけで「現実」に起こる出来事を捌き切れないとも言えます。
その隙間を埋めるものというのは、やはり「人間」を知ることなのかなぁと。その「人間」を知ることとはこういった心理学のようなものなのかもしれない、と思います。
もっと卑近な話で言うと、「審査官の判断」についても、「人間がどのような手法で判断を行うか」を知っておけば、その「判断」をこちらにとって都合の良いものに揺さぶることもやりやすくなると思います。
そう言った意味では、弁理士もこういった認知心理学のようなものの本は、少しは読んだほうがよいのかもしれない、と思いました。
「ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?」(上・下)(ダニエル カーネマン著 村井章子訳 早川文庫2014年(原著2011年)を読みました。
上下二冊なので、結構時間がかかりましたが、とにかく読みました。
簡単に言うと、人間が物事を決定するときに、どのようなメカニズムで決定がなされるか、という点についての本で、著者は認知心理学者ということのようです。
色々な意味で面白くて、ビジネスの世界で「決定」というものがどのようになされるか、というメカニズムについてなど、非常に説得力があり、面白い本でした。著者も証券会社での仕事をしていたことがあるようで、単純に「理論」という話ではなく、「ビジネス」という観点から書かれている点が面白かったです。
アメリカでは、「心理学」は、象牙の塔の理論ではなくて、ビジネス等への応用がなされる学問になっているのだ、と妙に感心しました。
日本人は「心理学」というものを、「社会生活に不要の学問」としてとらえている面が大きく、これを「経済」や「法律」という分野に応用すべき学問、とはあまり思っていないように思います。
しかし、「経済」にせよ「法律」にせよ、それを構成するのは人間なのですから、人間心理を無視して作られた法律は機能しないし、経済の予測等を狂わせるのは人間の微妙な心理です。
実際、「経済学」というのは、「人間は常に合理的な判断に基づいて行動する」ということが前提で構築されてきたものです。けれど、実際の人間は「合理的な判断」などしません。だから、経済学と現実の間には齟齬が生じます。
その溝を埋めるものとしての「心理学」の使い方は、興味深いものがあると思いました。
またそれと同時に、私がかねてからうまく言葉にできないでいたことも、この言葉であるような気がしました。
私はかつて、米国に出張で行って、米国代理人と話しているときに、米国の代理人が「弁理士としてやっていく人間は、心理学を勉強したほうがいい」というようなことを言われました。
私もその当時、似たようなことを思っていましたから、その言葉に非常に納得しました。けれど、「なぜ心理学を勉強する必要があるのか」と人から問われると、どう答えていいか分からないでいました。
けれど、それは結局こういうことだなぁと。
つまり、「法律」というのは、「すべての人が均一で、合理的な判断をする」という前提で作られているのですが、現実はそんなことはありません。
現実の人間は一人一人違っているし、その判断がいつも「合理的」とは限りません。そのせいで、世の中というのは理屈通りにはいかないですし、法律も実情に合わないケースが多々存在します。
つまり、法律や経済の世界では、「理論」と「現実」の隙間のようなものは、確実に存在していると感じます。弁理士試験の勉強のときに習った「理論」だけで「現実」に起こる出来事を捌き切れないとも言えます。
その隙間を埋めるものというのは、やはり「人間」を知ることなのかなぁと。その「人間」を知ることとはこういった心理学のようなものなのかもしれない、と思います。
もっと卑近な話で言うと、「審査官の判断」についても、「人間がどのような手法で判断を行うか」を知っておけば、その「判断」をこちらにとって都合の良いものに揺さぶることもやりやすくなると思います。
そう言った意味では、弁理士もこういった認知心理学のようなものの本は、少しは読んだほうがよいのかもしれない、と思いました。
投稿者 八木国際特許事務所