特許コラム

2013年2月24日 日曜日

貝原益軒のこと

  今読んでいる本は、「江戸の紀行文 泰平の世の旅人たち」(板橋耀子著 中央公論新書刊 2011年1月25日発行)です。

 まだ最後まで読んでいないわけですが、とりあえず、面白い本です。でも私が語りたいことはこの本のことではないかもしれません。

 

 この本を読んでいて(まだ途中までですが)感じるのは著者のあふれだす「貝原益軒愛」という感じがします。それは非常に説得力のあるものであり、私もこれを読んでいると、貝原益軒の本を読みたくなりました。

 私は高校時代日本史選択者でしたから、「貝原益軒、養生訓」とお題目のように唱えていました。でもそれがどんな本かも知らず、読んでみたいと思ったこともありませんでした。

 しかし、この本のなかで引用されている貝原益軒のことばは、非常に含蓄が深く、現代の世の中にも十分に通用するものであるように思います。著者が選んだ貝原益軒の言葉のすべてが含蓄深く、私にとっては心動かされる言葉であったように思います。

 

 そういう意味で、著者の「貝原益軒愛」は素晴らしいものであり、著者自身の美意識と貝原益軒の美意識がシンクロした感じがあります。

 私にとってもっとも印象の残った以下の言葉は、法律の言葉として今の世にも通じることでしょう。

 

「又、訴をきく人、人ごとに必ずしも賢明ならず。きゝあやまりて是を非とし非を是とし、或いは、かた口を聞きて信じ、聞きあやまる事多し。又、親類、権貴の人に頼まれ、或ひは賄賂にふけりて私する事、古来、その例すくなからず。さればいかなる正直の人、道理明白にして証明分明なれども、終に其の理を得ずして本意をとげず、却りて、とがにおちいること多し。吾に理あることをたのむべからず。已む事を得ば、訟をなすべからず」(同書 第88~89頁)

 

 書き写すのが面倒なので、現代語訳は書きません。現代語訳を読みたい方はこの本を見て下さい。なんとなく意味は分かるでしょう。悲しいくらいの諦観を覚える言葉です。でも、法律の仕事に携わる人であれば、共感できる人は多いのではないでしょうか。

 

 人は、

「自分は正しいことをやっているのだから、裁判に至ればその正しいことを認めてもらえるはずだ」

と思いがちです。でも、必ずしもそうと言えないのは現代社会でも同じであるように思います。

 

 実際、数年前に話題になったとある映画がこれと同じテーマを扱っていることを思えば、それは現代においても解決されていない問題であると思います。

 もちろん、

「そんな間違った主張がまかり通る世の中は間違っている」

との怒りを叫ぶこともできます。

 しかし、江戸時代から平成のこの世の中まで、同じ問題が解決されていない、ということは、そんな叫びが無力であることを思い知らされる気がします。

 

 私は特許の仕事のなかで、この言葉のようなことを実感したことは何度もあります。それが解消されるのであれば、私もそれを望みます。しかし、その見通しが立っていない以上、貝原益軒の

「吾に理あることをたのむべからず。已む事を得ば、訟をなすべからず」

との言葉をすべての人は胸に刻むべきではないか、と思います。



投稿者 八木国際特許事務所

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