特許コラム
2011年5月29日 日曜日
「ハマースミスのうじ虫」
今日は特許とは関係のない話です。
私は推理小説マニアだった、ということは何回かここでも触れましたが、私の好みはイギリスの渋めの古い推理小説で、派手な出来事も起こらず、エキセントリックな登場人物の描写が延々と続くような小説でした。特に、1950年代以前の古いイギリスの雰囲気を持った小説が好きでした。
で、最近、そういった小説を久々に読むようになっていて、今は「ハマースミスのうじ虫」(ウイリアム・モール著 霜島義明訳 創元推理文庫 原著1955年 日本語版2006年8月)を読み始めたところです。
最初数ページを読んだところで「あれあれ?」と思って、ちょっとブログネタにするか、と思ったわけです。
そういうことなので、実は今日の内容は「ハマースミスのうじ虫」の内容とそんなに大きく関係はありません。ネタバレもありません。最初十ページくらいしか読んでいないんだから、ネタバレの可能性もありません。
出だしのシーンは、主人公がクラブのレストランで顔見知りの銀行家に声を掛ける、というシーンです。
言ってみればそれだけのことなのですが、語り口が非常に「策略的」なんですよね。
その銀行家の様子が普段と違っているから、何が起こったか知りたいという好奇心から話しかけるわけです。その「普段と違う」と感じたのも、「何となく」ではなくて酒の量が違うとか書いて、ちゃんと「理由」を示すわけです。
そして、酔っているからからまれないようにとか、怪しまれずに銀行家の家に上がりこむにはどうすればいいか、とか、そういうこともいちいち「論理的」に行動するわけです。
更には、何気なく出てくる言葉が、いちいち「警句」めいていて、ちょっと深いんですよね。
「自分の性格をごまかせる人間はいません」
「預金通帳を見れば、持ち主の人柄が読めるでしょう」
なんてセリフがほんの数ページの間に出てくるわけです。
で、この著者は元MI5に勤務していたというわけです。言ってみれば、元「スパイ」です。
なるほど、と思います。
スパイというのはそういうことをやっているのだな、と。
それとともに、ちょっと怖くなってしまったのも事実です。
英国(そしておそらく米国も)においては、こういうふうに、「一見当たり前に見えること」に意味づけしていって、それへの論理的対応をおこなう、ということの「組織的教育」があるのかな、と感じたわけです。
それがどの程度の範囲のものか、それがどの程度有効なものなのか。
それは私には分かりません。
でも、特許問題で英米系の会社を相手にするとき、敵は「そういう教育を受けた人」かもしれない、ということは考えなければならないとなのかな、という気がしてしまいました。
ま、何気ない小説の出だしを読んだだけでこんなことを考えてしまうあたり、私もちょっと毒されているのかもしれませんが。
投稿者 八木国際特許事務所