特許コラム
2011年5月12日 木曜日
「<反>知的財産」について(2)
以前読んで、うまく論評できなかった、「<反>知的独占」 (ミケーレ・ボルドリン/デヴィッド・K・レヴァイン著 山形浩生/守岡桜訳 NTT出版;2010年10月29日;原著2008年)ですが、その後もこの本については色々と考えてきました。
以前の記事はこちら。
考えていたことは、
「この本の主張は素晴らしい。だから、知財業界をこの先どうするのかをこの本の内容に沿って考えよう」
というものではなく、
「この本の内容に納得がいかないのはどうしてだろうか」
というものでした。
よって、今回再びこの本の内容を取り上げるわけです。
ただ単に「この本は面白くない」などと漠然と書いても意味はないので、もう一度取り上げるのなら、論理的な観点からこの本の問題点を指摘しなければ、と思っていました。そういうことをしばらく考えていて、最近になって自分が感じたことを少しずつ言語化することができてきたような気がするので、話をまとめてみよう、と思いました。
私がこの本について批判的なのは、まず、
「内容がない気がしたから」
です。きついことをはっきりと書くようですが。
「知財が本当に産業の発展に寄与しているのか」ということは、そんなこと、随分昔からずっと私だって悩んできたことです。それについては、「簡単には分からない」し、「安易に結論を付けることはできない」と結論付け、
「今、知財制度を全て廃止するわけには行かないのだから、個々の会社や個人は知財制度にうまく対応しながら企業活動を行わなければならない」
という前提で、仕事をやってきました。
だからこそ、「知的独占は産業の発展に寄与していない」ということをテーマにしたこの本には惹かれもしたし、それを読むことで何か得られるものがあるのではないか、と思いました。
しかし、この本においては、「知財による独占的地位がないほうが、産業の発達に寄与する」と著者は思っている、という以外の情報が何もなかった、と感じました。長々と書かれた本のなかには、そういう個人的意見と、その意見に合致しているように思われる事例が説明されているだけでした。
私は、「そんな可能性があることくらいは、言われなくても分かっている」と思いました。
この本のなかでは、過去の事例の引例によって、「知財」が「産業の発展」に悪影響を与えたと思われる事例を一応説明してはいます。
しかし、過去の事例を多く調べれば、「知財が存在することが問題」であったような事例も、「知財保護がないために産業が発展した事例」も見つかるのは当たり前です。この本に関しては、知財に関する多くの事例を網羅的に調べたというよりは、「自分の理論に合致した事例」のみを取り上げている、という気もしました。
そういうやり方で理論を作れば、「知財は産業の発展に寄与していない」という考えを一見合理的なものに「見せかける」ことは簡単なことです。
しかし、この本が書かれたことによって「知的財産の保護」が無くなって、発明の保護に関する考え方がすべて変わってしまう、ということはないでしょう。それだけの中身を持った本ではないと思います。
そうであるなら、このような本を読むことにあまり意味はないし、これを「弁理士必読の本」と感じることもありませんでした。
折角、「知的財産の根本」をテーマにしたのなら、もっと広い視野での議論が欲しかったなぁと思いました。
このあたりが、私がこの本に納得いかなかった理由、ということのように思います。
投稿者 八木国際特許事務所