特許コラム
2010年10月15日 金曜日
法律の限界
特許の仕事をやっていて思うことの一つ、というか「法律の限界」を感じるのは、
「世の中の人は、いつも論理的に動いて自分に最大限の利益が来るよう合理的に行動しているわけではない」
という点です。
法律では、こういうことは無視されているように思えます。「人」というのは「何でそんなことするの?」というような突拍子もないことを、しょっちゅうしでかす生き物です。
小学生などは学校の先生や親に
「なんでそんなことをしたの?」
と聞かれることがありますが、その八割がたは答えられないことだったりします。だって、自分でも「なんでそんなことをした」のかさっぱり分からないわけですから。
新聞なんかを見ていても、「なんでそんなことをしたんだ?」と言いたくなる事件は山のように載っています。
でも、法律の世界では「人間は常に論理的に行動している」という前提に則って色々な規定があるので、「なんでそんなことをしたの?」という問いに「自分でも分からない」では済まされません。
「なんでそんなことをしたの?」
という問いに答えようがなく黙っていたら、相手方が強引に
「ってことは、こういう考えがあったんでしょ?」
ということを言ってきて、勝手にこっちの考えを作り上げられしまい、気がついたら悪者にされている、というのが法律の世界です。
別に深い考えなく明細書に書いた一言、意見書で主張した一文についても「なんとなく」書いたとは見てくれないわけです。必ず「論理的な意図」があって書いた文章だ、と解するのです。
これはしんどいことです。
明細書やら意見書という特許の書類を書くときには、後で変なことを言われないようにするためには、「論理的な意図」なく書いた文章は一文もないという状態にしなければなりません。そんなことは人間には不可能なことです。
こういうことのせいで、特許がちょっと「バクチ性」を帯びたものになってしまっているのも事実、という気がします。
しかし、こういう弊害を自覚しつつ、ギリギリまで文章を詰めて「バクチ」における勝ちの割合を少しでも高くするため、特許人たちは日々頑張っているわけです。
こういうことを書きましたが、私は「法律」っていうのがこういう風な欠点を持ってしまうのは、ある程度仕方ないこと、と思っているのであって、別に現在の法律制度というものを批判する意図はありませんので、念のため。
投稿者 八木国際特許事務所