特許コラム
2010年8月31日 火曜日
知財訴訟
知財のことでもめごとが発生すると、最後に到達するのは訴訟です。
別に知財に限らず、もめごとの最後の解決場所は裁判なわけですが。
私は、以前の特許事務所時代に幾つかの訴訟に関わったことがあります。
そこで思ったのは、訴訟というのは大変だ、ということです。
もちろん、だから訴訟をやるな、ということではありません。訴訟は大事な対抗手段です。本当に戦うしかないと思ったときには、訴訟を行わざるを得ないことがあります。
しかし、日本人は基本的に訴訟に慣れていません。皆、基本的には訴訟をしなくてすむなら、やりたくないと思っています。
そんな状態なのに訴訟になるということは、かなり頭に血が上っていることが多いです。
日本人というのは基本的にまじめなので、訴訟になるような場合は、原告被告両方に自分たちなりの主張があって、明確にどっちが悪いと言えないようなケースが多いように思います。
特に大企業同士の特許訴訟ともなれば、一方的にどちらかが悪い場合はほぼない、と言ってもよいのではないでしょうか。そして、それぞれの主張について両方が譲らないからこそ、裁判になっているという。
そのような状況ですから、双方ともに「絶対に勝たなければならない」という使命を感じてしまっているわけです。しかし、実際は必ずどちらかが負けるのです。
本来、裁判(特に知財の裁判)というのは、できるだけ感情を交えず、その場その場での「最大のメリット」を得ることができるように、対応を考えるべきものです。勝つこと、負けることもありますが、「この裁判を行うことによって、ウチの会社はこういうメリットを得た」という状態にまで持ち込むことが裁判の目的と言ってもよいような気がします。
そういう意味では、あまり強く「勝つ」ことばかり考えることは、決してよいことではないように思います。勝訴であっても、「損害賠償額20万円、差止請求は認めない」、なんて判決だったら、会社にとってメリットにならないとも考えられるでしょう。
負けたとしても損害賠償20万円のみだったら実質的には買ったも同然、ということになるでしょう。
しかし、現実はやはり「勝った、負けた」というところにばかり意識が行ってしまい、何のために訴訟をしたのか、というビジネス的クールな目を失っていることが散見されるように思います。自分が関与していない件についての判決等を読んでも、「原告は一体何がやりたかったんだ」と思うようなケースも時折見かけます。
どこまで追い込まれてもクールな自分を失わないというのは、厳しいことだと思います。それは、頭がいいとか知識があるということではなく、精神力の問題でもあると思います。
現実には、そこまでコントロールをして裁判を乗り切れるのは、精神力が極めて強い人か、裁判自体に慣れた人だけ、という気がします。
そういう意味では、弁理士もそういう局面に対応できるよう、精神力を強くすることが極めて重要と言えるのでしょう。
投稿者 八木国際特許事務所