特許コラム

2010年7月20日 火曜日

「論理病をなおす!―――処方箋としての詭弁」

 今回は、最近読んだ本の話です。
 「論理病をなおす!―――処方箋としての詭弁」(著者 香西秀信 ちくま新書)です。
 
 私は香西氏の本を読むのは2冊目で、前に「論より詭弁」(光文社新書)を読みました。裏表紙の香西氏の紹介を読むと、氏は宇都宮大学教育学部教授、専門は修辞学(レトリック)と国語科教育学とあります。
 
 こう書くと特許と関係ない本? と思われるかもしれません。修辞学というものを勉強したことがある弁理士の方は少数派でしょうし、私が「論より詭弁」を買ったときも、仕事に関係がありそう、と思って買ったわけではありませんし、修辞学に関する本も初めて読みました。
 
 この本では「詭弁」が最も重要なテーマです。
 そのなかで、「多義あるいはあいまいさの詭弁」の一例として挙げられている例に、
「『公園において樹木を折り取るべからず』との掲示に対し、『竹』は樹木でないから折り取っても構わぬと、解釈する人がありとしたならば、その解釈は立法者の意思に反した解釈である」
というのがあります。(この例は、香西氏オリジナルの例ではなくて『詭弁と其研究』(荒木良造 大正十一年)からの引用とのことです)
 これを見ると、特許の世界の人は苦笑してしまうのではないでしょうか。
 
 特許の世界では「公園において樹木を折り取るべからず」という文章であれば、「樹木でない竹」は折り取ってもよい、と解釈するのが普通の考え方です。
 それが、世間一般でみれば、「詭弁」と判断されてしまうわけですね。
 
 それはさておき。
 本書では、上述したような例を多く挙げて、分類・解説を加えていきます。
 
 以前、本ブログでも書いた「文系的な論理性」というのは、こういった修辞学的な論理と密接に関係していると思います。
 ですから、特許の仕事をするのなら、きちんと学んだのか、経験から勘として身に付いたかは別として、このような修辞学の基本的な事項くらいは知っておかなければならないと思います。
 
 なにしろ、明細書を書くにせよ意見書を書くにせよ、また、無効審判などで他社特許を潰しに行くにせよ、すべては「文章」によって行うのです。
 ですから、隙なく緻密な論理に基づいた文章を書ける、という修辞学的技術を持っていれば、それは必ず有利に働きます。
 
 また、著者は、
「詭弁を学ぶことで、相手の用いた詭弁を自ら議論の武器にすることができる」
「詭弁を学べば・・・(中略)安易に詭弁など使えなくなる」
「詭弁を研究、勉強することで、人間がものを考えるときの本質的な「癖」のようなものが見えてくる」
という3つを詭弁を学ぶ効能として示しておられます。
 
 このような効能が得られるのであれば、確かに、特許の仕事をする人間は「詭弁」を是非学ぶべきでしょうし、それは仕事に役立つことではないかと思います。
 
 この本は、素人にも非常に分かりやすく書かれていて、「修辞学」の入り口としては非常にいい本ではないかと思います。
 まあ、普通の人からすれば、特に前半などは、重要なのかどうかも分からない屁理屈めいた文章を読まされて、面倒くさくなるのかもしれません。
 しかし、特許の仕事をしている人が語ることも、同じくらい面倒くさいことなので、こういう屁理屈めいた文章を「楽しい」と思えるくらいでないと、特許の仕事はやっていけないのかもしれません。
 
 この本は、私にとって、色々と派生的に考えさせられたことなどもあるので、この本をネタにあと何回かブログを書かせていただきます。




投稿者 八木国際特許事務所

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